| 戦後 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| [要点-戦後~現代] | ||||||||||||||||||||||||||||||
①選挙制度が改正されて20歳以上の男女に選挙権が与えられた。 日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。 経済を民主化するために財閥解体が実施され、封建的な地主・小作制度を改めるために農地改革が行われた。 さらに、労働者の権利を守るために、労働基準法や労働組合法が制定され、 民主的な教育を行うために教育基本法が制定された。 ②1945年に国際連合が成立した。 戦後、アメリカを中心とした資本主義陣営とソ連を中心とした社会主義陣営の間の対立が激しくなった。 この二大陣営の間の戦火を交えない争いは「冷たい戦争」と呼ばれた。 中国では1949年に毛沢東を主席とする中華人民共和国が成立した。 ③1950年に朝鮮戦争がおこり、アメリカは日本に警察予備隊をつくらせた。 日本は、1951年に48か国との間に、サンフランシスコ平和条約を結んで独立を回復した。 同時にアメリカとの間に日米安全保障条約を締結した。 1956年には、ソ連との国交を回復し、日ソ共同宣言を発表した。 これによって、日本は国際連合への加盟が認められた。 ④1950年代半ばに結成された自民党は、その後38年間にわたって政権をとり続けた。 これを55年体制と呼ぶ。 |
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| GHQの占領政策 |
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【ポツダム宣言】1945年7月に日本に示された、イギリス・アメリ力・中国(討議はソ連)による無条件の降伏勧告。 【マッカーサー】1880~1964 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官として来日した人物。 【極東国際軍事裁判(東京裁判)】戦争をおこした責任があるとされた軍人や政治家がかけられた、連合国の軍事裁判。 【人間宣言】1946年に出された、天皇はこの世に人の姿をして現れた神である、という考えを否定した宣言。 ![]() (1)GHQの占領政策: ①民主化の推進: 日本は戦前まで天皇制と軍国主義が強い国でした。 GHQは日本を民主的な国家に転換すべく、政治制度の改革を進めました。 新憲法(日本国憲法)の制定はその象徴的なものであり、1947年に施行され、 日本は立憲君主制のもとで民主主義を採用しました。 ②経済改革: GHQは日本の封建的な土地制度を改革し、農地改革を行いました。 これにより、多くの農民が土地を所有することが可能になり、農業の近代化が進められました。 また、日本の産業の非軍事化も進められ、軍需産業の解体や戦後復興のための産業政策が取られました。 ③教育改革: 教育制度も大幅に改革されました。 新しい教育基本法が制定され、教育の自由化が進められました。 また、戦後の民主主義教育の推進が図られ、義務教育の期間も延長されました。 ④労働改革: 労働者の権利を保護するための労働法が整備され、 労働組合の結成が奨励されるなど、労働環境の改善が進められました。 ⑤社会的文化改革: 戦時中に強化された国家の統制からの解放が行われ、 報道の自由や言論の自由が保障されました。 また、公職追放によって戦争協力者や公職にある戦犯たちを排除しました。 |
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| 日本国憲法の制定 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【日本国憲法】1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行された憲法。 ![]() ①日本政府はGHQの示した案をもとに、憲法改正案を作り議会の審議を経て 1946年11月3日に公布し、その半年後の1947年5月3日から施行しました。 ②日本国憲法の三大原則は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義です。 |
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| 婦人参政権 | ||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ①戦前に普通選挙が実現されていましたが、 選挙権は25歳以上の男子のみに与えられ、女子には選挙権は認められていませんでした。 ②戦後、婦人参政権が認められ、選挙権は20歳以上の男女になりました。 |
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| 財閥解体と農地改革 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【農地改革】日本の農業の民主化のための改革。 【財閥解体】日本経済を民主化するために、GHQが行った改革。 ![]() (1)財閥解体: ①目的: 戦前・戦中の日本経済を支配していた財閥(大企業グループ)を解体することで、 経済の民主化と公正な競争を促進することが目的でした。 財閥は国家の軍事化と結びついていたため、その解体は非軍事化の一環としても行われました。 ②方法: 持株会社の解散: 財閥は持株会社を通じて系列企業を統制していました。 GHQは、財閥の持株会社を解散し、資産を分割しました。 ③株式分配: 持株会社の株式は、個人や他の企業に分配されることで、 多くの人々や企業が株式を保有できるようにし、経済の分権化を図りました。 独占禁止法の制定: 新しい経済ルールとして、1947年に独占禁止法が制定され、 企業の市場独占を防ぐ体制が整えられました。 (2)農地改革: ①目的: 農地改革の目的は、地主と小作農の不平等な関係を改め、 農民の土地所有を増やすことで農村部の民主化と経済的自立を促進することでした。 ②方法: 土地の買い上げと売却: 政府が地主から農地を強制的に買い上げ、 その農地を小作農に売却する形を取りました。 これにより、多くの小作農が土地を所有することが可能になりました。 制限の設定: 地主が所有できる土地の面積を制限し、それ以上の土地は買い上げ対象とされました。 これにより、大規模な地主制度が解体され、小規模農業が主流となりました。 |
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| 国際連合 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【国際連合】1945年10月に発足した、国際平和のための組織。2017年5月現在、193か国が加盟している。 ![]() ①1945年4月、サンフランシスコで国際連合憲章の調印が行われ、 10月に平和を維持する機関として、ニューヨークに本部を置く国際連合がつくられた。 ②国際紛争の解決をはかるために安全保障理事会が設置され、 アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国が常任理事国となりました。 ③非常任理事国は10か国で、選挙で選ばれ任期は2年です。 理事会の決定には、15理事国のうちの9か国以上の賛成が必要です。 ただし、常任理事国の中で反対が1票でもあれば否決されるという五大国一致の原則がとられています。 このような常任理事国の権利を拒否権といいます。 |
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| 冷たい戦争 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 【冷たい戦争(冷戦)】第二次世界大戦後の、アメリカを中心とする資本主義国と、 ソ連を中心とする社会主義国との直接戦火を交えない対立。 【北大西洋条約機構(NATO)】1949年にアメリカやイギリスを中心とする資本主義国で結成された、集団で安全を守ろうとする組織。 【ワルシャワ条約機構】1955年に結成された、ソ連を中心に東ヨーロッパの社会主義国で構成された軍事組織。1991年に解散した。 ![]() (1)第二次世界大戦後の「冷戦」: アメリカ合衆国(とその同盟国、主に西側諸国)と ソビエト連邦(及びその東側諸国)が対立した期間を指します。 これは、直接的な軍事衝突が起こらなかったため「冷たい戦争」と呼ばれています。 この期間は約1947年から1991年まで続きました。 ①背景と原因: イデオロギーの対立: 資本主義対共産主義: アメリカは資本主義と民主主義を掲げ、自由市場経済を促進していました。 一方、ソビエト連邦は共産主義を推し進めており、国有化と中央集権的な計画経済を採用していました。 この相違が根本的な対立の原因となりました。 ②戦後の勢力図: 第二次世界大戦後、ヨーロッパとアジアは大きな混乱状態にありました。 それを収束させる過程で、アメリカとソ連がそれぞれの影響力を広げようとしたため、 対立構造が強まっていきました。 ③主要な出来事: トルーマン・ドクトリン (1947年): アメリカが共産主義の拡大を防ぐため、 自由を守ろうとする国々を経済的、軍事的に支援する方針を示しました。 マーシャル・プラン (1948年): 西ヨーロッパの経済復興を支援するための大規模なアメリカの経済援助計画が実施されました。 ベルリン封鎖と空輸作戦 (1948-1949年): ソビエト連邦が西ベルリンへの交通を封鎖したため、 西側諸国は空輸を通じて物資を供給し、封鎖に対抗しました。 朝鮮戦争 (1950-1953年): 朝鮮半島における冷戦構造の一部で、北朝鮮(ソ連および中国支援)と 韓国(アメリカおよび国連支援)が戦争を行いました。 キューバ危機 (1962年): ソビエト連邦がキューバにミサイルを配備したことで、核戦争の危機が高まりましたが、 最終的に双方が撤回し平和裏に解決しました。 デタント(緊張緩和): 1970年代に入り、アメリカとソ連は緊張緩和の動きを見せ、 戦略兵器制限交渉などを通じて関係改善を試みました。 ④終結: 冷戦は、ソビエト連邦の経済的な困窮と制度的な問題が表面化する中で、 1989年に東ヨーロッパの共産主義政権が相次いで崩壊し、 1991年のソビエト連邦の解体によって事実上終結しました。 (2)評価: これらの歴史的な出来事は、戦後の世界の政治、経済、安全保障に大きな影響を与え、 現在の国際関係の基礎を築くこととなりました。 |
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| 東アジアの情勢(中国) | ||||||||||||||||||||||||||||||
【中華人民共和国】1949年10月1日に首都を北京として建国された社会主義国家。 【毛沢東】1893~1976 中国共産党の指導者。 ![]() ①第二次大戦後の中国では共産党と国民党の内戦が始まり、 これに勝利をおさめた共産党が、1949年、毛沢東を主席とする中華人民共和国を作りました。 ②敗れた国民党の蒋介石は台湾に逃れました。 |
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| 東アジアの情勢(朝鮮半島) | ||||||||||||||||||||||||||||||
【朝鮮戦争】1950年から始まった、朝鮮半島での、 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)の間でおきた戦争。 ![]() ①朝鮮は、日本の敗北により植民地から解放されたが、北緯38度の線を境に、 北をソ連に、南をアメリカに占領されて、 やがて1948年には、北に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、南に韓国(大韓民国)がつくられました。 ![]() ②1950年、北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まりました。 韓国軍は半島の南端まで追いつめられたが、 アメリカ軍を主力とする国連軍が韓国を助けるため参戦しました。 ③国連軍が北朝鮮を追って、中国との国境に近づくと、 今度は中国が北朝鮮側に立って参戦し、戦局は38度線付近で一進一退をくり返しました。 ④朝鮮戦争が起こると、アメリカは大量の軍需物資を日本に発注しました。 そのため、日本経済は不景気から回復し、復興を早めることができました。 |
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| 独立の回復と55年体制 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【サンフランシスコ平和条約】1951年にサンフランシスコで結ばれた、日本と連合国48か国との講和条約。 【日米安全保障条約】1951年、日本の安全と東アジアの平和のためにアメリカ軍が日本に駐留することなどを認めた条約。 ![]() 【サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約】 日本が第二次世界大戦後に国際社会に再び参加するための重要な条約です。 (1)サンフランシスコ平和条約(1951年): ①背景: 第二次世界大戦は1945年に終わりましたが、 日本はその後も連合国(アメリカやイギリスなどの戦勝国)の占領下にありました。 サンフランシスコ平和条約は、戦争の正式な終結を確認し、 日本が再び独立した国として国際社会に復帰するための条約です。 ②内容: 日本と連合国(全体で48か国)がこの条約を結び、日本の主権を回復しました。 日本は沖縄と奄美群島をアメリカの施政下に置かれましたが、本土に関しては独立を認められました。 戦争による損害を一部賠償することも取り決められました。 (2)日米安全保障条約(1951年): ①背景: サンフランシスコ平和条約と同じ日、日米安全保障条約も結ばれました。 これは、日本が再独立した後も、アメリカと協力して日本の安全を確保しようとするものでした。 ②内容: 日本国内にアメリカ軍基地を設けることが認められました。 日本の安全が脅かされたときには、アメリカが日本の防衛に協力することが約束されました。 (3)評価: これらの条約により、日本は1952年に独立を回復し、平和国家として再出発しました。 同時に、アメリカとの密接な関係を築き、安全保障面での協力も続いています。 |
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| 水爆実験 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 【原水爆禁止世界大会】1955年から開かれている、原水爆禁止運動の大会。 ①アメリカは第二次世界大戦末期に原爆を開発していましたが、 1949年にはソ連も原爆の開発に成功しました。 ②1954年にはアメリカがビキニ環礁で水爆実験を強行し、 現地付近の島民や日本の第五福竜丸という漁船などが被害を受けました。 ③このころソ連も水爆の開発に成功しており、 アメリカとソ連は核兵器の開発競争を行っていきました。 ④アメリカのビキニ環礁での水爆実験以降、核兵器開発に対する反対運動が高まり、 翌1955年には広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。 |
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| 政党の結成 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【安保闘争】1959年~60年におきた、日本とアメリカが日米新安全保障条約を結ぶ際の その内容と国会での条約批准の採決強行をめぐっての激しい反対運動。 【55年体制】1955年から40年近く続いた、自由民主党(自民党)が政権をもち、 日本社会党(社会党)が野党として国会で対立した、形式上の2大政党による政治体制のこと。 ①独立回復後、1955年、日本では政党に新しい動きが起こり、 保守勢力が自由民主党(自民党)、革新勢力が日本社会党(社会党)を結成しました。 ②それから長い間、自民党を与党とし、社会党を主要野党とする55年体制が始まりました。 ③自民党と社会党の対立の頂点は、1960年の日米安全保障条約(安保条約)の改定でした。 自民党の岸介内閣は、アメリカとの関係を強化することを目指して、新しい安保条約を結びました。 ④これに対し、安保闘争という激しい反対運動が起こり、岸内閣は条約成立後に退陣しました。 |
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| 緊張緩和と日本外交 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【アジア・アフリカ会議】1955年にインドネシアのバンドンで開かれた、アジア・アフリカの代表者会議。 【キューバ危機】1962年にソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとしたことから、 アメリカが反対して、アメリカとソ連の軍事衝突の危機が高まったできごと。 【ベトナム戦争】1954年から南北にわかれていたベトナムに、アメリカが介入してはじまった戦争。 【日韓基本条約】1965年に大韓民国(韓国)と結んだ国交を正常化する条約。 【日中共同声明】1972年に、田中角栄首相が中国を訪問し、日本と中国との国交を正常化するとした発表。 【日中平和友好条約】1978年に日本と中国が結んだ条約。 ![]() ①冷戦下の国際的な緊張は、1950年代半ばからしだいに緩和していきました。 ②1955年、アジア・アフリカの29か国がインドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議を開き、 植民地支配反対と平和共存を訴えました。 ③1962年、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることを察知したアメリカは、 キューバの海上封鎖を行いました。 ④このキューバ危機は、米ソ間の核戦争が起こる寸前で回避されました。 この事件をきっかけとして、アメリカとソ連は首脳間の直通電話(ホットライン)を設置し、 急速に関係を改善していき、緊張緩和が本格化しました。 ⑤西ヨーロッパ諸国は、1967年にヨーロッパ共同体(EC)を設立する一方、 1970年代前半に東ヨーロッパ諸国との関係を改善しました。 ⑥1965年、アメリカは南ベトナムを支援して北ベトナムとのベトナム戦争が激化しました。 ⑦世界各地で反戦運動が高まる中、アメリカはソ連と対立していた中国との関係を改善し、 1973年にベトナムから撤退すると、緊張緩和はアジアにも広がりました。 ![]() ⑧東南アジア諸国との賠償問題は、1950年代末までにおおむね解決しました。 ⑨また、韓国とは1965年に日韓基本条約を結び、 韓国政府を朝鮮半島の唯一の政府として承認しました。 ⑩中国とは1972年に田中角栄内閣が日中共同声明によって国交を正常化しました。 ⑪このとき、中国から日本へパンダが贈られました。 さらに、1978年には日中平和友好条約が結ばれました。 ⑫サンフランシスコ平和条約で、沖縄はアメリカの統治下に置かれていましたが、 佐藤栄作内閣はアメリカ政府と交渉を進め、1972年5月に沖縄の日本への復帰が実現しました。 ⑬この過程で、非核三原則が国の方針になりました。 石油危機後の1975年から、先進諸国の間で毎年1回、 サミットという首脳会議が開かれるようになりました。 |
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| [要点-高度経済成長~現在] | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ①1950年代半ばから日本は高度経済成長という急速な経済の成長をなしとげた。 1960年の安保闘争の直後に成立した池田勇人内閣は所得倍増をスローガンにかかげた。 高度経済成長にともなって、水俣病(熊本県)、四日市ぜんそく(三重県)、 イタイイタイ病(富山県)、新潟水俣病(新潟県)などの公害問題が深刻化した。 公害問題に対処するため、国は、1967年に公害対策基本法を制定し、1971年には環境庁を設置した。 ②20年近く高度成長を続けた日本経済は、アラブ諸国による石油価格の引き上げと石油の輸出制限が原因で、 1970年代に石油危機(オイル・ショック)にみまわれたが、これによって高度経済成長は終わりを告げた。 ③1972年にアメリカから沖縄が返還された。 同年、日本は日中共同声明によって中国との国交を正常化し、1978年には日中平和友好条約を結んだ。 ④1980年代後半から90年代はじめにかけて、地価や株価が異常な値上がりをしたが、 このころの経済をバブル経済という。 1991年、バブル経済が崩壊し、金融機関は回収不能な不良債権をかかえることになった。 ⑤1990年には東西ドイツが統一され、1991年にはソ連が解体してロシア連邦などが成立した。 |
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| 高度経済成長 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【高度経済成長】1950年代の中ごろから1973年まで続いた高い経済成長。 【三種の神器】1950年代から家庭に普及しはじめた、白黒テレビ・洗濯機・。電気冷蔵庫の3つの家庭電化製品のこと。 【所得倍増】1960年に池田勇人内閣が打ち出した経済成長政策のスローガン。 ![]() (1)日本の戦後の高度経済成長: 1950年代から1970年代初頭にかけての約20年間、 日本の経済が急速に発展した時期を指します。 ①背景: 戦後復興: 第二次世界大戦が終わった後、日本は破壊されたインフラや経済を復興させる必要がありました。 政府や民間企業は生産力の回復に努めました。 国際環境: 朝鮮戦争(1950-1953年)による特需がありました。 この戦争の影響で、日本製品の需要が増え、経済が活性化しました。 ②高度経済成長の要因: 技術革新と生産性の向上: 新しい技術と生産方式の導入により、生産性が大幅に向上しました。 企業は生産ラインを自動化し、品質の高い製品を大量にかつ効率的に生産することができました。 国の政策と投資: 日本政府は、産業の育成とインフラの整備に力を入れました。 高速道路や新幹線、ダムなどのインフラの整備が、物流の効率化と国内市場の拡大を促しました。 労働力の確保: 戦後の人口増加と教育水準の向上により、質の高い労働力が確保されました。 若い世代の労働者が多く、企業は長時間労働を通じて生産を増やしました。 国際貿易の拡大: 日本製品が安価で高品質であることが世界中に認められ、 自動車や電化製品などが多くの国に輸出されました。 ③主な成果: 生活水準の向上: 経済成長によって人々の生活水準が向上し、電化製品や自動車などの耐久消費財が普及しました。 都市化: 経済発展に伴い、都市部への人口集中が進みました。 (2)社会問題: この高度経済成長は、日本を世界でも有数の経済大国に押し上げ、 その後の国際的な地位を築く基盤となりました。 しかし、一方で急激な成長は公害や過労といった社会問題も引き起こしました。 ![]() |
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| 経済大国日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 【石油危機(オイル・ショック)】1973年、第四次中東戦争によって、 アラブの産油国が石油価格の大幅な引き上げなどを実施し、世界経済が大きく混乱したこと。 【高度経済成長】1950年代の中ごろから1973年まで続いた高い経済成長。 ![]() ①1973年、アラブ諸国とイスラエルの間で第四次中東戦争がおきました。 この戦争を機に、アラブ諸国は石油の輪出制限と石油価格の大幅な引き上げを行いました。 ②石油をおもなエネルギー源としていた日本などの先進国は大きな打撃を受けました。 これを石油危機(オイル・ショック)といいます。 ③石油の輸入に大きく依存していた日本経済は、 石油の国際価格が大幅に上がったため大きな打撃を受けました。 売りおしみや買い占めによって物価が上昇し、トイレットペーパーなどの日用品の品不足が起こりました。 ④1974年には戦後初めて経済の成長がマイナスとなり、高度経済成長は終わりました。 |
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| 経済成長率の変化 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【貿易摩擦】1980年代、日本とアメリカとの貿易において日本の黒字が続き、 赤字に苦しむアメリカとの間でおきた貿易•経済の不均衡のこと。 【バブル景気(バブル経済)】1980年代後半に、地価や株価が実際の価値以上に上昇した経済。 ![]() ![]() Aの時期:1955年から1973年までの間、日本経済は年平均で10%程度の高度経済成長を続けた。 しかし、1973年に起こった石油危機によって高度経済成長は終わった。 Bの時期:石油危機後、日本は経営の合理化や省エネルギー化を進め、 いちはやく不況を乗り切り安定成長の時期を迎えた。 そして、鉄鋼や造船にかわって自動車や電気機器などの輸出が伸び、貿易黒字が増えた。 しかし、日本の輸出増加により、とくにアメリカとの間に貿易摩擦が生じた。 Cの時期:1980年代末、投機によって株式と土地の価格が異常に高くなるバブル景気(バブル経済)が発生した。 しかし、このバブル景気は1991年に崩壊した。 Dの時期:長期にわたる平成不況のもとで、企業の倒産が増え失業者が増大した。 1990年代末に、小泉純一郎内閣が規制緩和、国営事業の民営化を進め、景気も回復した。 しかし、貧富の格差や都市と地方の格差が拡大したといわれている。 2008年の世界金融危機(リーマン・ショック)によって、再び深刻な不況が発生した。 |
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| 冷戦後の国際社会 | ||||||||||||||||||||||||||||||
【ベルリンの壁】1961年に東ドイツが西ベルリンの周囲に築いた壁。 【ゴルバチョフ書記長】1931~ 旧ソ連の政治家。 【マルタ会談】1989年、地中海のマル夕島で米ソ首脳が、冷戦の終結を宣言した会談。 ![]() ①1980年代、ソ連は経済が停滞し、国力が低下しました。 1985年に成立したゴルバチョフ政権は、アメリカなどの西側諸国との関係を改善する一方で、 国内の経済と政治の立て直しをはかったが成功しませんでした。 ②このような中、東ヨーロッパ諸国では民主化運動が高まり、 1989年に共産党政権が次々と倒れました。 ③ドイツでは1989年に、冷戦の象徴であったベルリンの壁が取りはらわれ、 翌1990年に東西ドイツが統一しました。 ④1989年、ソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのブッシュ大統領は、 マルタ会談で冷戦の終結を宣言しました。 ⑤東ヨーロッパの激変の影響を受けて、 1991年、ソ連を構成していたロシアなどの各共和国が独立し、ソ連は解体しました。 |
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| 多発テロ | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 【湾岸戦争】1990年にイラクがクウエートに侵攻し、 翌年アメリカを中心とする多国籍軍がイラクを空爆してはじまった戦争。 ![]() ①冷戦終結後、東西の対立にかわって世界各地で地域紛争が起きていまする。 また、テロリズムも発生しています。 ②その1つの焦点は中東です。 イラクがクウェートに侵攻して、1991年には湾岸戦争が起こりました。 ③2001年9月11日、一部のイスラム過激派がアメリカ国内で大規模な同時多発テロを起こしました。 これに対し、アメリカのブッシュ大統領は、 テロの首謀者をかくまっているとしてアフガニスタンを攻撃し、 さらに、2003年にはイラクを攻撃しました(イラク戦争)。 ④地域紛争を解決するうえで、国連の平和維持活動(PKO)の役割も大きくなっています。 |
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