社会2年 日本の歴史(昭和時代)

 昭和
 [要点-世界恐慌・満州事変]

①1929年に世界恐慌が起こった。
イギリスやフランスはブロック経済を行った。
アメリカでは、ルーズベルト大統領がニューディール政策を実施した。
イタリアでは、1922年にムッソリーニがファシスト党を率いて独裁政治を行い、
ドイツではヒトラーのナチス党が政権をにぎった。
ソ連はスターリンが五か年計画など計画経済を進めていたため世界恐慌の影響を受けなかった。

②1931年、軍部は南満州鉄道を爆破して満州事変を起こし、満州を占領し満州国を成立させた。
国際連盟は日本の引き揚げを勧告した。

③これを不服とした日本は、1933年、国際連盟を脱退した。
1932年に五・一五事件がおき、満州国の承認をしぶる犬養毅首相が暗殺された。
これによって8年続いた政党政治は終わりをつげた。
さらに、1936年、二・二六事件がおこり、有力な政治家、軍人が暗殺された。
 世界恐慌

【世界恐慌】1929年10月にアメリカではじまり、世界に広がった大不況。
【ニューディール】世界恐慌がおきたあと、アメリカでフランクリン・ルーズベ ルト大統領が行った経済政策。
【ブロック経済】世界恐慌に対してイギリスやフランスがとった政策。
【五か年計画】1928年以降にソ連で実施された、本格的な社会主義経済をすすめていく経済政策。
【スターリン】1879~1953 ソ連で独裁政治を行った指導者。

 

(1)1929年の世界恐慌:
20世紀において最も深刻な経済危機の一つで、国際的な影響を及ぼしました。
この恐慌はアメリカの株式市場の暴落から始まり、全世界に広がりました。

①背景:
1920年代後半、アメリカを中心に経済は繁栄していました。
しかし、この繁栄は持続不可能な要素が多く含まれていました。
特に、株式市場では過剰投機が行われ、多くの人々が借金をして株を購入していたため、
バブル状態にありました。

②主な出来事:
1929年10月24日(木曜日)「暗黒の木曜日」:
ニューヨーク証券取引所で株価が大幅に下落し、多くの投資家がパニック売りを始めました。

1929年10月29日(火曜日)「暗黒の火曜日」:
さらなる株価の大暴落が起き、多くの投資家が全ての資産を失いました。

③影響:
銀行の倒産:
株価の暴落により、銀行も多額の損失を被り、多くが倒産しました。

失業率の増加:
企業は経済状況の悪化により縮小を余儀なくされ、多くの労働者が職を失いました。

世界への波及: アメリカは多くの国と貿易をしていたため、
恐慌はすぐに他国にも波及し、世界的な不況となりました。

保護主義の台頭: 各国は自国の経済を守るために関税を引き上げ、貿易障壁を強化しましたが、
これが国際貿易をさらに悪化させました。

④解決策:
恐慌に対処するために、アメリカでは後にフランクリン・D・ルーズベルト大統領による
ニューディール政策が導入されました。
この政策は公共事業の拡大や金融システムの改革を通じて経済を回復させようとしました。

(2)結論:
1929年の世界恐慌は、世界中の経済と政治に深刻な影響を与えました。
経済政策や国際協力の重要性が再認識され、後の国際経済体制に大きな影響を与えることになりました。
 ファシズム

【ファシズム】民主主義や自由主義を否定する全体主義体制のこと。
【ムッソリーニ】1883~1945 イタリアの政治家。
【ヒトラー】1889~1945 ドイツの政治家。
【ナチス党】第一次世界大戦後の1920年にドイツ労働者党から改称した国民(国家)社会主義ドイツ労働者党の略称。

 

①イタリアでは、すでに1922年にムッソリーニがファシスト党を率いて独裁を行っていました。

②ドイツは第一次世界大戦の賠償金の支払いに苦しみ、物価高になっていましたが、
世界恐慌は、経済をさらに悪化させ失業者が増大しました。
ヒトラーの率いるナチス党はドイツ民族の優秀さを大衆の感情に訴えることで国民の支持を集め、
1933年に政権を握りました。

③ヒトラーは他の政党を解散させて、国際連盟を脱退して軍備を強化し、
さらにユダヤ民族を迫害しました。

④ドイツやイタリアにあらわれた、このような政治をファシズムといいます。
 満州事変と五・一五事件

【満州事変】1931年9月18日夜に、満州にいた日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件。
【満州国】1932年3月に建国を宣言した、中国東北部につくられた国。
【五・一五事件】1932年5月15日におきた、海軍将校らによる犬養毅総理大臣暗殺事件。
【リットン調査団】1932年、国際連盟が満州事変を調査するために派遣した、リットンを団長とする調査団。

  

満州事変と五・一五事件は、
1920年代から1930年代にかけての日本の政治と軍事の動きに深く関わる重要な出来事です。

(1)満州事変(1931年):
①背景:
経済的・政治的背景:
1929年の世界恐慌の影響で、日本国内は経済的に苦境に立たされていました。
その打開策の一つとして、資源の豊富な中国東北部(満州)への進出を求める声が高まっていました。

軍部の野心:
日本陸軍内部では、満州を占領することで日本の資源不足を補おうとする動きが強まっていました。

②主な出来事:
1931年9月18日、柳条湖事件: 日本の関東軍が南満州鉄道の線路を爆破し、
それを中国側の仕業として攻撃の口実としました。
関東軍は中国東北部への侵攻を開始し、短期間で満州地域を占領しました。

③結果:
満州国の設立: 1932年、日本は満州国という傀儡国家を樹立しました。
溥儀が執政として迎えられましたが、実質的には日本政府と軍部が支配していました。

④国際的反応:
国際連盟はリットン調査団を派遣し、満州事変は日本の侵略であると指摘しましたが、
日本はそれを受け入れず、1933年に国際連盟を脱退しました。

(2)五・一五事件(1932年):
①背景:
政治不安定:
経済の悪化や軍部の影響力の増大により、日本国内の政治は不安定でした。

軍国主義の台頭:
国家権力を軍が握ろうとする動きが高まっていました。

②主な出来事:
1932年5月15日、海軍の青年将校や陸軍の一部、右派の民間人が、
犬養毅首相を暗殺するクーデターを起こしました。
犬養首相は議会政治の継続を願っていましたが、この事件により政党政治は弱体化しました。

③結果:
軍部の影響力拡大:
五・一五事件後、軍部はますます政治に対する影響力を強めました。

政治の変化:
政党政治から軍部主導の政治へと変化し、後の軍国主義体制の基盤を築くことになりました。
これらの出来事は、日本がより軍国主義的な方向へと進むきっかけとなり、
最終的には太平洋戦争への道を進める要因となりました。
 二・二六事件

【二・二六事件】1936年2月26日におきた、陸軍青年将校らが首相官邸や警視庁などをおそった事件。

 

①1936年、陸軍の一部の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃する二・二六事件をおこしました。
②これ以降、軍部は政治的発言権を強めていきました。
 [要点-日中戦争・第二次世界大戦]

①1937年、北京郊外の盧溝橋で日中両軍の軍事衝突がおこり、日中戦争が始まった。
中国では 蒋介石の国民政府と毛沢東の共産党が抗日民族統一戦線を作った。
戦争の長期化にともない、国民を徴用したり物資を調達したりすることができるようにした
国家総動員法が制定され、政党は解散させられ大政翼賛会が作られた。

②ドイツは1939年にポーランドに侵入し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、
こうして第二次世界大戦が始まった。
1940年、日本は日独伊三国同盟をむすび、1941年にソ連との間に日ソ中立条約をむすんだ。
これに対して、アメリカは日本への石油輸出の全面停止を行い、
追い込まれた日本は、1941年、ハワイの真珠湾を奇襲し、
アメリカとイギリスを相手として太平洋戦争を始めた。

③1942年6月のミッドウェー海戦での敗北をさかいに戦局は悪化し、
兵士の不足に対処するため学徒出陣も行った。
1945年4月、アメリカ軍は沖縄県に上陸した。
1945年8月6日に広島に、8月9日に長崎に原爆が投下された。
この間の8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本への攻撃を開始した。
8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して、連合軍に降伏した。
 日中戦争

【日中戦争】1937年7月7日に北京郊外の盧溝橋付近でおきた事件をきっかけに始まった、日本と中国の戦争。
【盧溝橋事件】1937年7月7日に北京郊外の盧溝橋付近でおきた日本軍と中国軍の軍事衝突事件。
【南京事件】1937年12月、日中戦争で、首都南京を占領したころに日本軍がおこした虐殺事件。
【抗日民族統一戦線】1937年に抗日のために結成された協力体制。

  

(1)1937年の日中戦争(第二次中日戦争):
日本と中国の間で行われた大規模な軍事紛争です。
この戦争は、アジアにおける日本の侵略政策と中国の抗日運動が激化した結果として発生しました。

①背景:
満州事変後の緊張:
1931年の満州事変以来、日本は中国東北部(満州)を支配し続けてきました。
その後も中国本土への圧力を強め、支配領域を拡大しようとしていました。

中国の分裂と結束:
当時の中国は国民政府(蒋介石率いる国民党)が中心でしたが、
共産党との内戦も続いていました。
しかし、日本の侵略に対抗するため、1936年に西安事件を経て、
国民党と共産党は「第二次国共合作」を成立させ、協力して日本に対抗する方針を打ち出しました。

②主な出来事:
盧溝橋事件(1937年7月7日):
北京(当時の中華民国の首都南京に平方を置く)の西南に位置する盧溝橋で、
日本軍と中国軍の間で小規模な武力衝突が発生しました。
この事件をきっかけに、日中間の全面的な戦争が始まりました。

上海戦(1937年8月):
日本は軍事力を増強して上海を攻撃しました。
市街戦が数ヶ月にわたって続き、多くの死傷者を出しました。

南京事件(1937年12月):
日本軍は国民政府の首都である南京を占領し、
この過程で多数の民間人が殺害されるなどの残虐行為が行われたとされています。
南京事件は国際的にも大きな批判を呼びました。

③結果と影響:
長期化する戦争:
戦争は当初の日本の予想を超えて長期化し、双方に多大な犠牲を強いました。

中国の耐久戦略:
中国は広大な地形を活用し、日本軍を引き込みながらゲリラ戦を展開し、持久戦を強調しました。

国際的な影響:
この戦争は国際社会においても注目され、特にアメリカやヨーロッパ諸国からの批判を招きました。
また、戦争の長期化は日本国内の経済的・社会的圧力を強めることになりました。

④終結:
日中戦争は、1945年の第二次世界大戦の終結まで続き、その間に戦火はますます広がりました。
大戦終結後、連合国の勝利とともに日本は降伏し、戦争は終結しました。
日中戦争は、日本と中国の近現代史において極めて重要な出来事であり、
その影響は現在でも両国の関係に少なからず影を落としています。

 戦時体制
 
【国家総動員法】1938年4月に出された、国民の労働力や物資などすべてを
議会の承認なしに勅令で戦争にまわすことができるようにした法律。
【大政翼賛会】1940年に、すべての国民が一致して戦争に協力する体制をつくるためにつくられた組織。
【隣組】1940年、大政翼賛会のもとにつくられた、5~10戸の家庭を単位とする組織。
【配給制】日中戦から大平洋戦争にかけて行われた、各家庭に生活必需品をわりあてるためにとられた制度。

 

①日中戦争の長期化にともない、1938年に国家総動員法をつくり、
資源や労働力のすべてを戦争のために動員できるようにしました。

②米などが配給制となり、国民を戦争に協力させるために隣組を組織しました。

③さらに1940年、挙国一致の強力な新体制を樹立するため大政翼賛会が結成されました。
これにより、議会で活動していた政党が解散し、議会は無力となりました。
 第二次世界大戦

【第二次世界大戦】日本・ドイツ・イタリアの枢軸国側と、
アメリ力・イギリス・ソ連などの連合国側でおこった戦争。

 

(1)第二次世界大戦:
1939年から1945年にかけて行われた世界的な戦争です。
この戦争は、ほぼ全世界を巻き込み、連合国と枢軸国という二大陣営に分かれて戦われました。

①背景:
第二次世界大戦の主要な原因の一つは、
第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約や他の条約による厳しい条件が、
ドイツなど敗戦国に不満を抱かせたことです。
また、経済の不安定や、イタリアや日本といった国々が新たな領土拡大を目指すにつれ、
国際的緊張が高まりました。

②戦争の始まり:
1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻したことをきっかけに、
イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まりました。

③主な出来事:
ヨーロッパ戦線:
ドイツは「電撃戦(Blitzkrieg)」という戦術で、短期間で多くのヨーロッパ諸国を占領しました。
1941年、ドイツはソ連に侵攻しましたが、厳しい冬とソ連の抵抗により失敗しました。

太平洋戦線:
日本はアジアでの勢力拡大を目指し、1941年12月7日にアメリカの真珠湾を攻撃しました。
この攻撃によりアメリカも戦争に参戦しました。
しかし、1942年のミッドウェー海戦などで、日本の進撃は次第に停止し、後退を始めます。

ノルマンディー上陸作戦:
1944年6月6日、連合国軍はフランス・ノルマンディーに上陸し、
ヨーロッパ解放の大きな一歩となりました。

④終結:
ヨーロッパでの終結:
1945年5月、ドイツは連合国に降伏しました。

アジアでの終結:
1945年8月、アメリカは広島と長崎に原子爆弾を投下し、その後、日本は9月2日に降伏しました。

(2)結果と影響:
この戦争では、数千万の人々が命を失いました。
国際連合(UNO)が設立され、世界の平和と安全を維持するための新しい国際秩序が模索されました。
冷戦と呼ばれる米ソ対立が始まりました。
第二次世界大戦は、歴史における非常に重要な出来事であり、多くの国に深い影響を与えました。

 三国同盟~開戦

【日独伊三国同盟】1940年にドイツ・イタリア・日本が結んだ軍事同盟。
【日ソ中立条約】1941年に日本とソ連の間で結ばれた中立条約。
【太平洋戦争】1941~45年におこった、アジアにおける日本と、アメリカ・イギリス・中国などの連合国との戦争。

 

(1)日独伊三国同盟:
第二次世界大戦中の1940年に日本、ドイツ、イタリアの3か国が結んだ軍事同盟です。
この同盟により、これらの国々は枢軸国として連携を深めました。

①政治的背景:
1930年代から1940年代初頭にかけて、これらの国々は拡張主義や軍国主義的な政策を追求していました。
共通の敵として、主にイギリスやフランス、アメリカなど西側の列強が立ちはだかる状況でした。

②目的:
三国同盟は、ソビエト連邦やアメリカ合衆国などの大国に対抗するための
協力体制を築くことを目的としていました。
各国の領土拡張や影響力の拡大を助け合うことも意図されていました。

③主要条項:
日独伊三国同盟には以下のような主要内容があります。

④相互防衛:
いずれかの加盟国が第三国から攻撃を受けた場合、他の加盟国がこれを支援し、
防衛することを約束しました。

⑤結束の強化:
この同盟により、三国は軍事・政治面での協力を強化することを約束しました。
宣伝活動:

フロパガンダを通じて、同盟国同士の結束の強さと、その意義を国内外に発信する計画が立てられました。

⑥結果と影響:
枢軸国の形成:
日独伊三国同盟の締結によって、日本、ドイツ、イタリアの三国は
枢軸国として緊密な連携を取るようになりましたが、実際の連携は必ずしも強固でなく、
各国の思惑が優先されることも多かったです。

戦局への影響:
第二次世界大戦中の様々な戦線で、ある程度の協力は見られたものの、
戦争の進行によって各国が直面する状況や課題が異なったため、同盟の影響力には限界がありました。

(2)評価:
日独伊三国同盟は、第二次世界大戦の一部として、国際政治や戦争の展開に大きな影響を与えました。

 戦中~敗戦

【学童(集団)疎開】1944年から始まった、大都市の小学生を学校ごとに集団で地方に分散させたこと。
【ヤルタ会談】1945年2月にソ連のヤルタで行われたアメリカ・イギリス・ソ連の首脳会談。
【ポツダム宣言】1945年7月に日本に示された、イギリス・アメリ力・中国(討議はソ連)による無条件の降伏勧告。
【原子爆弾】核分裂を利用した大きな破壊力をもった爆弾。

  

①1941年、日本はハワイ真珠湾のアメリカ海軍基地を奇襲攻撃して、
アメリカ・イギリスを相手として太平洋戦争を始めました。

②しかし、1942年のミッドウェー海戦での敗北を機に日本軍の形勢が不利になっていきました。

③戦争が進むにつれ、国内では生活物資が不足するようになり、
配給量も減少し、金属器などの供出も行われました。

④1944年にサイパン島が陥落すると、アメリカ軍の日本本土への無差別爆撃が始まった。
空襲が激しくなると、大都市の小学生は父母の元を離れて、農村に集団疎開しました。

⑤1945年3月に、アメリカ軍は沖縄に上陸し激しい地上戦が行われた。
さらに、1945年8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾を投下しました。

⑥その間、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦し、満州・朝鮮に侵入しました。

⑦こうした中で、1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れて無条件降伏しました。
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