社会2年 日本の歴史(大正時代)

 大正
 [要点-大正~昭和時代]
 
 年代  おもなできごと
 1914(大正3)  バルカン半島はヨーロッパの火薬庫、オーストリア皇太子暗殺事件
第一次世界大戦 → 日本は日英同盟を根拠にドイツを攻撃
 1915(大正4)  日本の中国に対する二十一か条の要求
 1917(大正6)  ロシア革命:指導者はレーニン → ドイツと単独講和、アメリカ参戦
 1918(大正7)  米騒動:富山県、シベリア出兵を見込んだ商人の米買い占め → 米価高騰
最初の本格的政党内閣:原敬内閣
 1918(大正7)  パリで講和会議 → 1919年にベルサイユ条約
 1919(大正8)  日本に対し、朝鮮で三・一独立運動、中国で五・四運動
インドでは、ガンディーを中心にイギリスからの独立運動
 1920(大正9)  国際連盟発足:アメリカ大統領ウィルソンが提唱
 1921(大正10)  大正デモクラシー:吉野作造の民本主義、美濃部達吉の天皇機関説
 1923(大正12)  関東大震災が起こり、東京は壊滅状態に
 1924(大正13)  第二次護憲運動 → 加藤高明内閣が成立
 1925(大正14)  普通選挙法(25歳以上の男子に選挙権)、治安維持法(社会主義の取締り)
 1929(昭和4)  世界恐慌 → アメリカではルーズベルト大統領のニューディール政策
イギリス・フランスはブロック経済、ドイツではヒトラーの独裁
イタリアではムッソリーニの独裁、ソ連ではスターリンの計画経済
 1931(昭和6)  満州事変 → 1932年満州国を建国させる
 1932(昭和7)  五・一五事件:犬養毅首相暗殺さる → 政党政治の終了
 1936(昭和11)  二・二六事件
 1937(昭和12)  日中戦争始まる → 中国の国民党と共産党、抗日民族統一戦線を結成
 1938(昭和13)  国家総動員法:国民の徴用、物資の調達
 1939(昭和14)  ドイツのポーランド侵入 → 第二次世界大戦
 1940(昭和15)  政党を解散させ、大政翼賛会を結成
 1940(昭和15)  日独伊三国同盟
 1941(昭和16)  日ソ中立条約
 1941(昭和16)  ハワイ真珠湾を奇襲 → 太平洋戦争:首相は東条英機
 1945(昭和20)  3月沖縄戦、8月広島と長崎に原爆が投下される
ポツダム宣言を受諾して、敗戦

①ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていたバルカン半島のサラエボで、
オーストリアの皇太子がセルビアの青年に暗殺される事件が起きた。
ドイツ、オーストリアの同盟国側と、セルビアを助けるロシア、イギリス、
フランスの連合国側の間で第一次世界大戦が始まった。

②大戦が始まると、日本は日英同盟を根拠に連合国側にたってドイツを攻撃した。
また、日本は中国に対して二十一か条の要求を突きつけた。
1917年にレーニンを指導者としたロシア革命が起こり、ロシアはドイツと単独講和を結んだ。
1917年、アメリカが参戦し、ドイツは1918年に降伏した。

③1919年、講和会議がフランスのパリで開かれた。
アメリカ大統領のウィルソンの提唱により、1920年に平和のための組織として国際連盟が設立された。
その本部はスイスのジュネーブに置かれた。
1921年にワシントン会議が開催された。
戦後、ドイツではワイマール憲法が制定され、20歳以上の男女の普通選挙や社会権が規定された。

④1919年、朝鮮で日本からの独立を求めて、三・一独立運動が起こり、
中国でも日本が突きつけた二十一か条の要求の取消を求める五・四運動がおこった。
インドでは、ガンディーのもと、イギリスに対する非暴力・不服従の抵抗運動が起こった。
 帝国主義

【帝国主義】19世紀後半から始まった、資本主義諸国が軍事力と経済力を背景に植民地獲得をめざした動き。

 

①19世紀末、イギリス、フランス、ドイツなどの列強は、原料や製品の市場を海外に求めるようになり、
軍事力を背景に植民地を求めてアジア・アフリカへ侵略を重ね、互いに対立するようになりました。
このような動きを帝国主義といいます。

②イギリスとインドの航海距離を半分に縮めた交通路は、スエズ運河です。
1869年にスエズ運河が開通すると、イギリスは運河会社の株を買い占め、
さらにエジプトを占領してインドへの通路を確保しました。
 列強の対立と第一次世界大戦の勃発

【ヨーロッパの火薬庫】第一次世界大戦直前のバルカン半島の状態を示すことば。
【三国同盟】ドイツ・オーストリア・イタリアの間で、1882年に結ばれた軍事同盟。
【三国協商】イギリス・フランス・ロシアの間でつくられた軍事や外交におけるつながり。
【サラエボ事件】1914年6月28日にボスニアの州都サラエボで、セルビア人の青年がおこした、
オーストリア皇太子夫妻暗殺事件。
【第一次世界大戦】1914年~1918年におきた、サラエボ事件をきっかけにして始まった戦争。

 

①ドイツはオーストリア、イタリアと三国同盟を結び、ベルリン-ビザンチウム-バクダッドへ
積極的に勢力を伸ばそうとする
3B政策をとりました。

②これはイギリスの3C政策(カイロ-カルカッタ-ケープタウン)と対立するものであり、
イギリスはフランス、ロシアと
三国協商を結んで対抗しました。

③これらの列強は世界中で対立していたが、しだいにバルカン半島が対立の中心になり、
民族・宗教の対立もからんで、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるようになりました。

④1914年、バルカン半島のサラエボで、
オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されるというサラエボ事件が起こり、
オーストリアとセルビアが開戦し、ドイツ、トルコなどの同盟国がオーストリアにつき、
イギリス、フランス、ロシアなどの連合国がセルビアについて、
戦争は世界中に広がって第一次世界大戦が始まりました。

 日本の参戦

【同盟国】第一次世界大戦のときに、ドイツ・オーストリア側についた陣営のこと。
【連合国】第一次世界大戦のときに、イギリス・フランス・ロシア側についた陣営のこと。
【二十一か条の要求】1915年、日本が中国に対して示した要求。

 

①日本は中国への権益を伸ばすために、日英同盟を根拠に連合国側にたって
ドイツの拠点であった山東半島の青島を攻撃しました。

②さらに日本は中国に対して、山東半島のドイツ権益の継承、旅順・大連の租借期間の延長など
二十一か条の要求を出し、これを認めさせました。
 大戦景気

【大戦景気】第一次世界大戦中におきた日本の好景気。
【成金】短い期間で財産を築いた人。

 

①1914年に第一次世界大戦が始まると、ヨーロッパ各国からアジアなどへの輸出が減少したため、
日本のアジア市場などへの輸出が約3倍に急増し、好景気になりました。

②造船・海運・鉄鋼業などで、にわかに巨額の利益をあげた成金とよばれる人々が生まれました。

③しかし、戦争が終わってヨーロッパ各国がアジア市場にもどってくると、輸出は減少に転じました。
 ロシア革命と米騒動

【ロシア革命】1917年3月と11月にロシアでおきた、労働者や農民、兵士らによる革命のこと。
【ソビエト社会主義共和国連邦】ロシア革命後の1922年に成立した世界最初の社会主義国。
【シベリア出兵】ロシアでおきた社会主義革命の影響が広がることをおそれて、
1918年に日本・アメリカ・イギリス・フランスがシベリアに出兵したこと。
【米騒動】1918年におきた、米の安売りを求める騒動。

  

(1)ロシア革命:
20世紀初頭にロシアで起こった一連の革命的出来事を指します。
主に二つの大きな革命、すなわち1917年の二月革命と十月革命によって構成されています。

①二月革命(1917年3月):
二月革命は、厳しい冬と第一次世界大戦による困難な状況の中で、
ロシアの首都ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で市民の不満が高まり、
ストライキやデモが発生したことから始まりました。
兵士たちも市民側に付いたため、ロマノフ朝の皇帝ニコライ2世は退位を余儀なくされました。
この革命によってロシア帝国は崩壊し、一時的に臨時政府が樹立されました。
しかし、臨時政府は戦争を継続したため、不満が解消されませんでした。

②十月革命(1917年11月):
その後、世界初の共産主義政府を樹立することを目指すボリシェヴィキ(後のソビエト共産党)が、
指導者レーニンの下で十月革命を起こしました。
武装蜂起により臨時政府を打倒し、ボリシェヴィキ政権が成立しました。
これによって、ロシアはソビエト連邦として新たに生まれ変わりました。
これらの革命は、世界各国に多大な影響を与え、
特に共産主義の広がりやその後の冷戦の始まりに大きく影響しました。
また、国内では社会や経済の大変革をもたらし、労働者や農民の生活にも大きな変化がありました。

(2)米騒動:
1918年の米騒動は、日本で大正時代に発生した大規模な社会不安運動です。
この出来事は、全国的に広がり、特に貧しい人々の生活に深刻な影響を与えたため、
歴史的に重要です。

①背景:
米価の高騰:
第一次世界大戦中、諸外国への米の輸出が増加しました。
このため、国内の米の供給が減少し、米価が急騰しました。
生活の苦境: 米は当時の日本人にとって主食であり、
米価の高騰は一般市民、特に都市部の労働者や低所得層の生活を圧迫しました。

②米騒動の展開:
きっかけ:
富山県の漁村、魚津町(現在の富山市)で主婦たちが
米の安売りを求めて米屋に押しかけたことが、最初の行動でした。
これが次第に各地に広まりました。

全国的広がり:
この運動は急速に全国に広がり、暴動や略奪、破壊活動に発展しました。
商店や米問屋が襲撃され、米の買い占めに対する抗議が行われました。

政府の対応:
この騒動に対処できなかったとして寺内正毅内閣は非難を浴び、
結果的に総辞職に追い込まれました。
政府は混乱を鎮めるために軍を出動させるなどして秩序回復に努めました。

③結果と影響:
政府の食糧政策の見直し:
米の流通を管理する制度が整えられ、供給の安定と価格の抑制が進められました。

社会運動の進展:
米騒動は、労働運動や農民運動など、他の社会運動の活発化を促すきっかけにもなりました。
国民が政府に対して声を上げる重要性を示す出来事となりました。

(3)評価:
この米騒動は、大正デモクラシーという民主化の流れにも影響を与え、
日本の社会と政治における変革の一因となりました。
 ベルサイユ条約と国際連盟
 
【ベルサイユ条約】ドイツと連合国との間で結ばれた、第一次世界大戦の講和条約。
【国際連盟】1920年、アメリカ大統領ウィルソンの提案にもとづいて成立した、史上初の世界平和と国際協調のための国際組織。
【ワシントン会議】1921~22年にひらかれた、アメリカ・日本・イギリス・フランス・イタリアなど9か国が参加した国際会議。
【ワシントン軍縮条約】1922年にイギリス・アメリカ・日本・フランス・イタリアの5か国により調印された条約。

 

(1)ベルサイユ条約:
①成立: ベルサイユ条約は、第一次世界大戦の講和条約で、
1919年6月28日にフランスのベルサイユ宮殿で調印されました。

②主な内容:
ドイツの責任と制裁: ドイツは戦争の責任を問われ、領土の一部を失い、植民地を失いました。
また、軍備の制限や巨額の賠償金を課されました。

③領土の再編成:
アルザス・ロレーヌ地方のフランスへの返還、ポーランドの独立、
シュレースヴィヒのデンマークへの返還など、ヨーロッパの地図が再編成されました。

(2)国際連盟:
将来の戦争を防ぐため、国際連盟の設立が明記されました。
①設立:
ベルサイユ条約の条項に基づいて、1920年に設立されました。
国際連盟は、国家間の争いを平和的に解決し、協力と平和の維持を図る目的を持っていました。

②本部:
スイスのジュネーヴに置かれました。

③活動:
国連総会にあたる連盟総会、執行機関としての理事会が定期的に開催されました。
国際紛争の平和的解決を促進し、経済的不均衡の是正や人道的問題に取り組みました。

④限界と問題点:
アメリカ合衆国が不参加だったため、本来の影響力を完全に発揮することはできませんでした。
実効性のある軍事力がなく、重大な国際的課題に対して有効に対処できない場合がありました。
これにより、1930年代の日本、ドイツといった国々の侵略行動を防ぐことができませんでした。
 戦後のドイツなど

【ワイマール憲法】第一次世界大戦に敗北したドイツ帝国の崩壊後、
一九一九年、ワイマールに召集された国民議会で成立したドイツ共和国憲法。



(1)ワイマール憲法:
第一次世界大戦後のドイツで制定された民主的な憲法で、1919年に施行されました。
この憲法は、ドイツ帝国の崩壊後の新しい政体であるワイマール共和国の基礎をなす法律です。

①背景:
第一次世界大戦後: ドイツは第一次世界大戦で敗北し、ヴェルサイユ条約の締結を余儀なくされました。
これに伴って、帝政が崩壊し、民主的な共和国が誕生しました。
②ワイマール:
憲法はベルリンではなく、政治的安定を求めて選ばれた文化都市ワイマールで起草・制定されました。

③主な特徴
民主主義の導入:
国民の基本的人権を尊重し、普通選挙制を導入しました。
すべての成人男女に選挙権が与えられました。
議会制民主主義を採用し、議会(ライヒスターク)が政策決定の中心となりました。

大統領の権限:
大統領は国民投票によって選出され、
緊急時には国会を解散したり法律を発布したりする権限を持っていました(第48条)。
この強力な大統領権は、後にヒトラーが権力を集中するために利用されることになります。

経済と社会の改革:
社会権を強調し、労働者の権利や福祉国家の理念が盛り込まれました。
政府は経済的、社会的な安定を図るための政策を推進しました。

④意義と限界:
意義: ワイマール憲法は当時の世界で最も進んだ民主的な憲法の一つとされ、
戦後ヨーロッパの民主化に寄与しました。

限界と課題:
政治的には不安定で、多くの政党が林立したため、連立政権が常態化し、
政策が一貫しないことがありました。
経済的に困難な状況が続く中で、国内の政治的対立が激化しました。
特に、世界恐慌の影響で失業率が高まり、
過激な政治勢力(ナチスなど)が支持を拡大しました。

⑤結果:
最終的に、ワイマール憲法はヒトラーのナチ党による政権奪取(1933年)によって形骸化し、
第二次世界大戦へとつながる政治的な不安定の中でその役割を終えました。
しかし、その理念や構造は、多くの国の民主主義憲法に影響を与え続けました。

 アジアの民族運動

【三・一独立運動】1919年3月1日に朝鮮でおきた、日本からの独立を求める運動。
【五・四運動】1919年5月4日に中国の北京で学生によるデモから始まった激しい反日運動。
【中国国民党】1914年に孫文が結成した中華革命党が、名称を1919年に改めた政党。
【中国共産党】1921年に上海で結成された、現在の中華人民共和国を指導している党。
【ガンディー】1869~1948 第一次世界大戦後のインドで、イギリスからの独立運動をすすめた人物。

 

①日本の植民地支配のもとに置かれていた朝鮮では、1919年3月1日、
ソウルで独立をめざす知識人や学生らが日本からの独立を宣言する文章を発表し、
人々は「独立万歳」をさけんでデモ行進を行いました。

②これに刺激された独立運動は、朝鮮全土に広がりました。
これを三・一独立運動といいます。
日本は軍隊を動員してこれを鎮圧しました。

③1919年、ベルサイユ条約でドイツの中国における権益を日本が引き継ぐことが認められたため、
中国の反日感情が爆発しました。

④1919年5月4日の北京での学生集会をきっかけに、中国国内で反日運動が起こり、
さらに帝国主義の侵略に反対する国民運動へと発展しました。
これを五・四運動といいます。

⑤この運動をきっかけに孫文は中国国民党を結成し、1921年に結成された中国共産党とともに、
民族の独立と国家の統一をめざす運動をくり広げました。

⑥インドでは戦争に協力すれば自治を認めるという約束をイギリスが守らなかったため、
暴力・不服従を唱えるガンディーを指導者として独立運動がおこりました。
 [要点-大正デモクラシー]

①第一次世界大戦中の好景気によって物価が上昇したが、
特に米価はシベリア出兵を見込んだ商人の買い占めにより異常な値上がりを見せた。
1918年、富山県の漁村でおこった米騒動はたちまち全国に広がった。
その結果、桂太郎内閣は倒れて政友会の原敬による最初の本格的政党内閣が生まれた。

②普通選挙と政党内閣の実現を求める声が高まり、吉野作造は民本主義を唱えた。
こうした民主化を求める動きを大正デモクラシーという。
憲政会の加藤高明を中心とする内閣ができ、1925年に普通選挙法が成立し、選挙権は満25歳以上の男子になった。
しかし、同時に社会主義運動をおさえるための治安維持法がつくられた。

③大正時代、労働運動がさかんになり、農村でも小作料の減免を要求する小作争議が起こった。
平塚らいてうは青鞜社を組織した。
1922年には部落差別の解消をめざして全国水平社が結成された。

 大正デモクラシー

【大正デモクラシー】大正時代に発達した、民主主義・自由主義を求める風潮。
【桂太郎】1847~1913 明治・大正時代の政治家。内閣総理大臣を3度つとめた。
【第一次護憲運動】憲法にもとづいた、民主的な政治を求める運動。
【民本主義】吉野作造が唱えた、民衆の政治参加のために、普通選挙と政党内閣制の実現を求める考え方。
【天皇機関説】美濃部達吉が唱えた、主権は国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法に従って統治するという考え方。
【米騒動】1918年におきた、米の安売りを求める騒動。
【第二次護憲運動】1924年に政党の人々がおこした普通選挙の断行などを求める運動。
【普通選挙法】1925年に制定された、25歳以上のすべての男子に選挙権が認められた法律。
【治安維持法】1925年に普通選挙法と同時に制定された法律。

 

(1)大正デモクラシー:
日本の大正時代(1912年から1926年)の前後にわたって進行した、
政治的・社会的な民主化の動きを指します。
この時期、日本では立憲政治が進展し、市民の政治参加が拡大しました。

①背景:
明治維新からの変化: 明治時代における日本は、近代化と中央集権化を推進しましたが、
政治は基本的には上からの改革で行われていました。
第一次世界大戦の影響: 戦後の好況とともに、経済が成長し、中産階級が拡大しました。
また、西洋の民主主義思想が多く輸入されるようになりました。

②主な特徴
政党政治の発展:
複数の政党が議会で影響力を持ち、
立憲政友会と憲政会(後の立憲民政党)などの政党が交互に政権を担当しました。
政党が内閣を組織する「政党内閣」が進展し、
特に原敬内閣(1918-1921)は本格的な政党内閣とされています。

普通選挙運動:
民主主義の拡大を求める声が高まり、1925年には普通選挙法が成立し、
25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられました。

社会運動の活発化:
労働組合や農民運動、女性運動が活発になりました。
特に、労働者がストライキを行ったり、選挙権拡大を求めたりする動きが増えました。
女性の政治参加についての議論も進み、女性運動が強化されました。

文化的変化:
新聞や雑誌、文学や芸術を通じて自由主義や個人主義の思想が広がりました。
大正浪漫と呼ばれる文化的潮流が広がり、多様な文化や思想が発信されることになりました。

③意義と限界:
意義:
大正デモクラシーは、日本の政治と社会における民主化と改革を促進し、
その後の日本の政治文化に大きな影響を与える動きでした。

限界:
しかし、平等化の対象は男性に限られ、経済格差や政治的不安定は完全には解消されませんでした。
その後、1930年代になると、次第に軍国主義的な動きに押し戻されていくことになります。

(2)評価:
大正デモクラシーは、日本が近代国家へと移行する過程で、
民主主義が一時的に大きな権威を持った時代として、歴史的に重要な位置を占めています。
 社会運動の高まり

【労働運動】労働者の地位を上げるための運動全般。
【小作争議】農村で小作人が小作料の引き下げを求めておこした運動。
【全国水平社】1922年に京都で結成された、部落解放運動をすすめる団体。
【女性運動】女性の生活改善、地位の向上、解放をめざす社会運動全般のこと。

 

①大正時代にはさまざまな民衆運動が高まりました。

②労働運動では、日本労働総同盟が労働者の団結と解放を目指して労働争議を指導し、
1920年5月1日には労働者の祭典であるメーデーが行われました。

③農村でも小作料の減免を要求する小作争議がひんぱんにおこりました。

④差別からの解放を求めてきた被差別部落の人々は、
1922年に全国水平社を結成し、水平社宣言を発表しました。

⑤女性差別からの解放をめざす運動も盛んになり、
平塚らいてうを中心にして青鞜社が結成されました。
 大正時代の文化

【白樺派】個性の尊重などをかかげた雑誌『白樺』を中心に作品を発表した作家のグループ。
【プロレタリア文学】大正時代の終わりから昭和時代のはじめにかけてさかんになった、
労働者(プロレタリア)や農民のようすを描いた文学。

 

①大正時代の文学は、まず白樺派が代表です。

②志賀直哉は人道主義の理想をかかげ、武者小路実篤らとともに雑誌「白樺」を創刊しました。

③また、新思潮派の芥川龍之介は、知性的な作品で人々に新鮮な印象をあたえました。

④さらに、社会・労働運動の高揚にともない、
小林多喜二(「蟹工船」)などのプロレタリア文学もおこりました。
 大正時代の生活

①大正時代、工業化の推進などによって日本の資本主義は飛躍的に発展し、
それにともなって都市化と大衆化が進みました。

②ガス、電気、水道などの普及によって、都市では西洋風の生活様式が流行しました。

③住宅の一部に西洋間を設けガラス窓を採用した「文化住宅」が流行し、
カレーライス、トンカツ、コロッケなどの洋風料理が広まりました。

④洋服は、まず男性に普及したが、バスガールや電話交換手など働く女性が増加し、
女性にも広がり始めました。

⑤1925年に始まったラジオ放送は、またたく間に全国に普及した。
また、それまでの活動写真(無声映画)にかわってトーキーが登場し、レコードも普及しました。
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